2007年04月27日

4回戦 佐藤(俊)選手vsコリンズ選手(イギリス)その17

その昔、沖縄では中国と盛んに交流があり、冊封使とよばれる
朝廷の使者がやってきては滞在し、親睦を深めていた。
冊封使の一行のなかの人から、沖縄の人は中国拳法(北派拳法)
を習うようになった。
そして研究熱心な人は、中国まで修行に行った。そのなかで
有名な人は琉球王の武臣を勤めた松村宗棍で、その門下から
糸洲安恒と安里安恒の名人が出た。
糸洲安恒は中国拳法を沖縄の人の体格に合うようにつくり
かえた。これが首里手とよばれるようになった。
また、那覇の東恩納寛量は中国の福建省に渡り、15年以上も
中国拳法(南派拳法)を研究して帰国し、那覇地方の人に
伝えたので、那覇手とよばれている。

中国武術は長江(揚子江)を境に上の北と下の南のエリアで
分けられている。北は北派拳法で、南は南派拳法となる。
南拳北腿と言われ、南派拳法は拳、即ち手や腕を多く用い、
北派拳法は腿、即ち蹴りを多用すると言う意味である。
北部は平原が多いために移動や跳躍や蹴りの多い武術が
発達し、南部は川を船で移動することが多く、狭い場所・
揺れる場所でも練習できる武術が発達したという説がある。
(ちなみに極真カラテの基本稽古で行われる三戦立ちは
揺れる船の上でも稽古できるくらい安定した立ち方であると
いわれている)
また、北部は寒く自然と体が固くなるので、それを防ぐために
自然と力を抜く事を覚え、必然と力を抜く技法体系の修行法が
発生し、南部では暑く体がだらけてしまうので必然と力を入れ
体を引き締める技法体系の修行法が生まれたとの説もある。
一般に、首里手は柔軟性重視、那覇手は筋骨重視が特徴と
言われているのも納得だ。              つづく


posted by キワメシンノスケ at 00:48| 極真第1回世界大会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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